朝三暮四

由来を知ってると言うことは意味を知ってることと同義ではないと思うのですよ。ええ、本当に。「朝三暮四」別にどうってこともない熟語ですが、何らかの形で聞かれました「どういう意味だっけ?」と。すこし頭の中を巡らせるとその由来の話は大体覚えてました。「昔、猿を飼ってくらしてたある人がいましたが、お金の都合がつきにくくなりました。そして食事をへらさざるをえなくなり猿に言いました。(柿だかドングリだか忘れましたが)朝三つ、夜四つでどうか?と、すると猿は怒りました。そこで朝四つ夜三つではどうかと言うと、手を叩いて喜んだ、とそういう話」と由来を話しました。このことがらからわかることが熟語の意味で間違いないので。ところが猿がバカだなーと言う風にしか感じられず自身その答えに至りませんでした。おいおい。結局、辞書引いて意味はわかりましたが、由来話まで知ってて意味を理解してないのは正直自分でも呆れる次第。
でも、臥薪嘗胆や矛盾、五十歩百歩、それぞれ由来と意味はわかりますが、やはりとらえどころの問題なのではないかなと思うのですよ。例えば「五十歩百歩」似たりよったりであることの意ですが、確実に五十歩は差があったと考えるのは・・・捻くれてますかね〜。


「朝三暮四」<ちょうさんぼし>ごまかすこと。うまくまるめ込むこと。目のまえの利益にとらわれて、全体が見えなくなること。
もう少し多角的に物事を捉えなければと、このことを思い出して強く思います。ええ正位置でも逆位置でも。