旅は人を解放的にする

旅行二日目、今日は自分の要望で予てから行きたかった伏見稲荷神社を詣でることに。話しによく聞く鳥居群を一度見てみたかったためだ。本殿を抜け参詣路を上っていくと朱、朱、朱。一面の朱と言えないのは結構な年月、雨風にさらされているためか塗料が禿げていたり、薄くなっているのがあったためだ。それにしたって些かも近寄りがたさが損なわれない。いや、ちょっと嘘ついた。鳥居の後ろに○○会社寄贈とかかかれてるので多少ある。
凄い量の鳥居の数。一般の神社では鳥居を抜けるとそこは神社の神域であるためか、俗世と隔離するための入り口というイメージがあったが、ここまで数多く並んでいると”抜けそこなったら”異世界にでも行きそうだ。神隠しにあうっていうのはそういうなのやもしらん。こういうのを神秘的と言うのだろう。
参詣路は頂上付近で二つに別れ、ぐるっと一周するようになっているらしい。友人と汗をかきながら上っていると山頂の本稲荷をすっとばしていた、おいおい。慌てて戻って一拝み。ふう、いい仕事をした。
次は、行く当てもなかったので宇治方面へ。宇治茶宇治川ぐらいしか思いつかなかったが、平等院鳳凰堂がここだった。あれ、他に世界遺産っぽい何かを…そうそう宇治上神社を見ました。あれはちょっと渋くて…地味だ。昼もここで食べたのだがニシン蕎麦が美味であった。あと抹茶パフェ。多少高くてもニシンはお土産にしておくべきだったか。
伏見、宇治を堪能し今日の宿たる大阪へそろそろ行くべ、と疲れた足を励ましながら向かう我々。夕方も近かったのでこの時間ともなれば大阪で求めるものは観光ではなく”食”のみ!!
ホテルに荷物を置き、本屋で立ち読み(目的たててないことの弊害)し、今夜の目的地が決まった。そう「食い倒れ」の街へ、いざ直行。安直というなかれ、他にどうしようもないほど「それで構わない」と二人で納得していたのだ。グリコを見、かに道楽の看板を見てから店探し。昼間の観光で疲れていたので時間をさほどかけずに決めた。道頓堀極楽商店街がそれだ。色んなものを食べたい食べさせたいと言う客と店側のニーズが合致した、観光のための商店街ならぬ、食店街とでもいったところか。「さぁ、食うぞ」と意気込んではいたものの実際は、明石焼きお好み焼きでダウン。よく考えたら腹で膨らむよ。勢いだけで頼むんじゃなかった。「ケプ」と腹だけ満足させてちょっと不完全燃焼。可能であるならもっと食べたかった。